菅原道真公の死後、都では相次ぐ関係者の死や、疫病の蔓延、度重なる落雷等に震え上がります。
中国文化を好んだ道真公は中国由来の絹織物を好み、領地には蚕のえさとなる桑畑が多く「桑原」と呼ばれていました。
没後に都が、相次ぐ雷に震え上がっていた時、桑原の地だけは落雷がなかったことから、雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱えるようになったそうです。
祟りを押さえるため北野天満宮、太宰府天満宮を建立しようやく落ち着いたとか…
怨霊として恐れられた道真公ですが、江戸のころから学問の神としての信仰が始まったそうです。