出雲聖地の案内人

出雲松江の聖地リトリートのご案内

出雲大社 八雲の滝

ここは出雲大社の裏手にある八雲の滝。

禁足地の八雲山のすぐ隣にあります。

あまり知られてはいませんが…

神官の方々が御神域で禊をする場です。

ここは波動高いです。

峻厳な空気が漂っています。

大勢の人が行き交い賑わう出雲大社から10分位の所にありますが、ここを訪れる人はほとんどいません。

確かに分かりにくい感じです。案内が一ヶ所ありますが見落としそうです。

縁ある人が訪れるところかもしれません。
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くわばら くわばら

菅原道真公の死後、都では相次ぐ関係者の死や、疫病の蔓延、度重なる落雷等に震え上がります。

中国文化を好んだ道真公は中国由来の絹織物を好み、領地には蚕のえさとなる桑畑が多く「桑原」と呼ばれていました。

没後に都が、相次ぐ雷に震え上がっていた時、桑原の地だけは落雷がなかったことから、雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱えるようになったそうです。

祟りを押さえるため北野天満宮太宰府天満宮を建立しようやく落ち着いたとか…

怨霊として恐れられた道真公ですが、江戸のころから学問の神としての信仰が始まったそうです。


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出雲国の菅原天満宮

出雲の国にも菅原天満宮があります。

県内でもあまり知られていませんが…

菅原道真公の生誕の地です。

父、是善は京より出雲国庁の役人として派遣されました。

同じ出雲王家の祖先である野見宿禰の墓を訪ねて、その時案内した乙女を気に入られ国庁に召されました。

やがて任期が終わり京に帰ることとなりました。

しかし、この乙女は是善の子を身籠っており、この地で道真公を出産されました。

承和十二年(845年)6月25日のことです。

丑年の丑の日、丑の刻生まれの為「丑鹿児丸」と命名されました。

このことから道真公はとても牛を愛されたとか。

道真公は6才の頃、京に招かれ菅原家に入り右大臣にまでなるも、藤原氏との争いに破れ失意のまま太宰府にて世を去ります。

その死後、この地に道真公を偲びこの神社が建立されました。


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野見宿禰の横穴古墳は兵庫県たつの市にあります(戦いに勝った後に、出雲に帰る途中で招かれた豪族の家で毒殺されたとか…)

拝み墓は出雲の旧王宮跡の、松江市にある神魂神社近くの東出雲王家墓所にあります。

出雲王家は野見宿禰の古墳を故郷にも作ろうと分骨を持ち帰り、目だたぬように西に15キロ離れた当地に築きました。

父、是善はその祖先の墓を御詣りしようとして案内してくれた娘と出逢い…

道真公誕生の秘話です。


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